監督・撮影・編集・ナレーション:山岡瑞子(やまおかみずこ)
映画作家/アーティスト 1998年渡米。2002年Pratt
Institute(NY)卒業直後、事故に遭い帰国。中途障害者・帰国者の立場からの制作方法を模索する。2016年、バルセロナで初短編ドキュメンタリー制作。BankART AIR
2021への参加を経て、22年初長編ドキュメンタリー映画『Maelstromマエルストロム』完成。ピッツバーグ大学 Japan Documentary Film
Award2022受賞。第23回ニッポン・コネクション他、オーストリア・ウィーンで開催されたJapannual
2023など、国内外の映画祭で上映され、23年12月に横浜で先行上映。第97回キネマ旬報文化映画ベスト・テン第5位選出。2023年度ACYアーティスト・フェロー。
https://mizuko-yamaoka.amebaownd.com
答えのない試行錯誤と葛藤の渦に脚を取られ、溺れていた−−見失った自分と繋がり直し、どこかにあるはずの陸に這い上がることを祈りながら、執筆・編集を続けた5年半でした。この個人的で小さな自主映画が、国内外の映画祭での上映/受賞、劇場公開、2023年キネマ旬報ベスト・テン文化映画部門5位と進めたことに、深く感謝しています。未来を探る一人の女性のモノローグが、観る人の何かの気付きに繋がれば、誠に幸いです。
Commentsコメント
『Maelstrom』が観る者を圧倒するのは、監督の山岡瑞子が、自分にとって痛切極まりない、身を切られるような問題を真摯に描いているからにほかならない。 ただし山岡の場合、作家として何かテーマを探していて、そういう痛切な題材に巡り合ったというわけではない。それは突然、自身の身に降りかかった。脊髄損傷という大怪我をするという事故が。 そして山岡は、事故からかなりの年月が経ってから、自分が生きてきた激烈な時間、maelstrom(大渦巻き)を作品に昇華させることを選んだ。いや、選んだというよりは、そうせざるをえない強い内的衝動に駆られたのであろう。 その内容は徹底的に個人的、パーソナルである。しかしパーソナルな井戸をひたすら深く掘っていくと、しばしば普遍の水脈にたどり着くものだ。 『Maelstrom』では、それが起きている。
大きな渦にのみこまれた表現者が最も個人的なテーマに挑み、もがき苦しみながら撮りあげた唯一無二の映画。自分とは、人間とは、人生とは。ひたすら真摯に考え続ける表現者は、街に出て、人に会う。その姿に圧倒され、自分だったらどう生きるかと考えずにはいられない。
「私」にしか見えていない世界を「誰か」の世界にフィードバックすること。それが表現の持つ特別な力だと思っています。『Maelstrom』は、まさに山岡監督の見てきた景色、答えのない葛藤と向き合うその時間を丹念に捉え、私たちへと開放してくれました。
ドキュメンタリーにしか作りえない一瞬一瞬に目が離せませんでした。完成、おめでとうございます。
人はここまで自分と向き合えるものだろうか。膨大な内省の記録であり、問いかけと逡巡と諦観と希望が込められた、人生を振り返る旅。プライベートな日記が他者の心を動かす域に昇華されている様に、ただただ圧倒された。
ポジティブでいるようにと言われても、人は立ち直れない。映画「Maelstrom マエルストロム」の希望は、制御不能になった自分との親密な対話を続けることにある。喪失感、後悔、哀しみ、迷いといった難しい感情と向き合い、自分の未来と社会を少しづつ変化させていく。
好きだな・・・よくワカッテナイ自分自身を巡って まんま、放り投げるように綴った映画。日々を見つめ続けた創り手の眼差しが鏡となり、観ている一人ひとりをも写し出す。生きるとは「Maelstrom(大渦巻き)」・・・悪くない。
ひとりのアーティストが、社会への異和や事故による「大渦巻」に翻弄される過程を静かに語り、事故以前の自分へ再帰は、芸術表現と創造であると確信してゆく。生の道筋は、枝分かれしているのではなく、渦のように流動し重なり合う。「私の想い出話」を超えた、勁さと美しさに満ちた映像。
ニューヨークで事故に遭い障害を負った女性が、大混乱の渦中で悶え、足掻き、懊悩の果てにたどり着いたのは、己の全てをさらけ出す映画を作ることだった。絶望の果てからの生還を記録した本作は、表現を志す多くの者を静かに鼓舞するだろう。
見る前は少し心配していた。あまりに伝えたいことが多く、その重量も熱量も半端じゃないから。でも杞憂だった。拍子抜けするくらいに素直に、淡々と語られていた。これなら安心して薦められる。今度はもっと暴れてもいい。
映像が網膜に差し込んでくる、混乱と不安の中にある希望と未来。山岡監督本人によるナレーションの、やわらかな声が心地よく、レム睡眠の夢のように記憶の中に溶け込んでくる。アートの可能性と彼女の生き様で綴った超真実。
生きることは何かを表現すること、表現するためには生きること。山岡瑞子監督自身に起こったマエルストロム=大混乱を、自らが撮った映像とモノローグで綴った本作を見て、そんんなことを思った。傑作。
「Maelstrom」は、大混乱という意味。「中途障害者」となった監督自身の体感の連続は、渦のように観客を引きずり込む。命懸けの本作は「感動作」として消費されることを拒絶する。命が再び輝きはじめるまでの自問自答は、芸術へと昇華した。美しいと思った。
本作は、車椅子生活を送りながら自立を決意した女性の可能性を、美しくコラージュした実話映画。自由が制限されがちな日本社会で、壊滅的な喪失感を乗り越え、創造を通して自己価値を再発見する、人間味あふれる物語である。
20年の歳月を経て、山岡瑞子監督は再び芸術の世界に戻ってきた。『Maelstrom』は個人の記録映画でありながら、痛みを超えて生きることの意味を、私たち一人一人に強く問いかけてくる。混乱を極めた現代、人間として存在することの価値に気づかせてくれる作品。応援しています。
どんなに大きな渦に巻き込まれ、どんなに酷い大混乱に陥ろうとも、生きることは美しい。そんな後味を残してくれる、独創的な作品です。
人生、マエルストロムだけど、たぶん大丈夫。俺も、ちゃんと、美しく生きたい。
生きるということは、常に混乱することだ。
山岡さんの人生を追体験しながら、自分の人生を振り返り、そのことを改めて突きつけられた。
矛盾を抱え、不自由と自由の狭間で我々は生きている。
山岡さんと初めてお会いした時、私の作品と私に対しての怒りをストレートに伝えてくれた。
本気で観ていただいたことがわかった。
私も本気で作っていたので、なんだか嬉しかった。
そのクリエイティブなものへの愛憎、そして家族への愛憎を、一人の女性、一人のアーティストの生き様という視点で描かれた本作は、複雑かつ多様な要素を持ちながら、巧みな構成で軸がぶれず、最後まで観るものを圧倒する唯一無二の傑作だった。
山岡さんの次回作が今から楽しみだ。